2016年12月30日金曜日

織田信長の戦い(7) - (37歳) 織田&徳川 vs 浅井&朝倉「姉川の戦い」 -

激戦「姉川の戦い」



朝倉と浅井に挟まれながらもどうにか撤退した信長は、岐阜で体制を整え直し2万を超える軍勢で再び攻め寄せます。
 
裏切りに失敗し怒り狂った信長を相手にする浅井軍ですが、1万を超える朝倉家の援軍と共に腹を括ります。(朝倉家当主は参戦せず)


徳川軍5千も到着



信長の同盟軍であり、先の金ヶ崎では同じく撤退に追い込まれた徳川軍も駆けつけます。

ここに信長・徳川連合と、浅井・朝倉連合が姉川を挟んで対峙します。

 

浅井軍の猛攻



後の歴史を知れば信長や家康のビッグネームが圧勝したのかと思いますが、実際は名門浅井・朝倉が決死の奮戦をします。


織田軍は浅井軍と、徳川軍は朝倉軍と正面から激突します。数でも負けていない朝倉が徳川軍に善戦し、奮起された浅井軍も織田軍を押し込みます。


池田恒興、羽柴秀吉、柴田勝家軍も抜かれる



浅井軍の猛攻は止まらず、織田軍の名だたる武将が次々に打ち破られます。

歴史に「もし」は無いものの、序盤は浅井軍の破竹の勢いで下手をすれば信長本陣すら危うかったほど攻め込まれます。


善戦するも徳川軍により朝倉軍敗走



当主は参戦していないものの予想以上に善戦を続ける朝倉軍。

このまま浅井と朝倉で押し込めば歴史が変わっていたかもしれませんが…、そうは徳川が許しません。
 
別動隊の榊原軍が側面を突いたことを転機に、徳川軍が一気に朝倉軍を押し返し、ついには敗走へと追い込みます。


信長の首まであと一歩に迫った猛将遠藤直経



朝倉軍の劣勢と共に徳川軍は織田側にも援軍を回し一気に情勢は傾きます。
 
信長相手に怒涛の快進撃を続けた浅井軍も、無念ながら撤退を余儀なくされます。


しかし、浅井家重臣の遠藤直経は文字通り一矢報いるため、自らの命を使い信長に斬りかかります。

戦死した家臣の首を使い、浅井家重臣として値打ちのある己の首と称して褒美をもらうふりをして本陣に向かいました。


まさに命を賭けた刺し違えを狙いましたが、信長本陣にいて遠藤の顔を知っていた竹中久作(半兵衛の弟)に気付かれ討ち取られます。


激戦を制するも四面楚歌はまだまだ続く



辛くも戦には勝ったものの、朝倉も浅井もまだまだ滅んではおりません。

さらに両家との戦いなど序章に過ぎず、日本中から狙われる信長包囲網が着々と作られていきます。



◇◆関連歴史書(再掲)◆◇


信長はじめの一歩としてお勧めしているのがドラマや映画にもなった下記漫画です。

ドラマ・映画版とは内容は全然異なり、史実のポイントを抑えつつ独特の柔らかさで描く良作だと思います。


進みが遅く半年に一冊しか出ませんが、ファンブックを買うほど応援している作品です。

すでに歴史好きでも「こう描いたか」と描き方を楽しめる世界観だと思います。


『信長協奏曲』





石井あゆみ氏




※詳細は画像より



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著者:ひさなお
 
 TOEIC満点、作家、投資家、IT企業グローバル人事、馬券師。
 慶應義塾大学→UCLA→大手IT企業。

  第3回マイナビ作品コンテスト最優秀賞受賞。 

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織田信長の戦い(6) - (37歳) 九死に一生・金ヶ崎撤退戦 -

義弟浅井長政まさかの裏切り



1570年、織田信長は3万の軍勢を率いて越前の朝倉家を攻めます。

再三の上洛命令を無視した朝倉義景を圧倒的な軍勢で討伐するはずでしたが、ここでまさかの事態が発生します。


お市を正室に送った浅井長政が突如裏切り、遠征軍であった信長は一気に袋の鼠となります。


お市が危機を知らせた?



教科書に載っていたり、ドラマや小説では度々出てくるシーンが、浅井長政の裏切りを兄の信長に伝えるため、お市が両端を結んだ小豆袋を送り付けるというものです。

両端を結ぶ、つまり朝倉と浅井に囲まる事態を暗示しています。


このブログでは一貫して伝えてきたように、山本勘助の存在や秀吉の一夜城が「ほぼ作り話」であるのと同様、この逸話もあくまで後付けだとは思います。


大敗に変わりなし



実際は物見と呼ばれる見張りが周囲の状況を伝え、この戦でも多数の物見が浅井長政の裏切りを報告し、信長もようやく信じたそうです。
 
どちらにしろ、このまま戦っては大敗は明確。

信長は命がけの撤退を余儀なくされます。


殿は羽柴秀吉



一刻を争う緊急事態で、信長は周囲の兵だけを率いて一目散に山の中へと逃げます。

一方、信長や他の軍団を逃がすためには誰かが残って浅井家を食い止めねばなりません。


その絶望的な殿を担い注目度を高めたのが後の豊臣秀吉です。

実際にはこの時点では秀吉より格上の明智光秀も残ったそうですが、最後に勝った人間が歴史を作るわけですから、秀吉の武勇伝として残っています。


松永久秀の奮闘でどうにか逃げ切る



少数の兵だけを率いて逃げ続ける信長でしたが、浅井方の武将である朽木元綱の領地を通らねばなりません。


多勢に無勢、戦になれば殺されていたかもしれない状況でしたが、この時点で信長方の武将であった松永久秀の説得で朽木元綱は寝返り、信長はどうにか撤退を成功させます。


ちなみに松永久秀は将軍を暗殺したり大仏を焼いたり、何度も何度も寝返りを繰り返す暴れん坊でした。

後に信長に2回目の謀反を起こした際(1回目はなんと許される)、日本初の爆死という手段で自害します。


四面楚歌の序章に過ぎない



勢力だけを見れば圧倒的な信長が、まさかの義弟の裏切りで命からがらの撤退を強いられたのです。

激昂した信長にあっという間に浅井家は滅ぼされた……のかと思いきや、信長vs日本の戦いはまだ始まったばかりでした。



◇◆関連歴史書(再掲)◆◇


『忍びの国』



著者:和田竜氏



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『村上海賊の娘』で本屋大賞を獲った著者の中で、信長が出てくる別の作品です。


一癖も二癖もある伊賀忍者たちが初めて一致団結し、100倍の敵で押し寄せる織田軍団と戦う圧巻の作品


信長がメインでは出てきませんが、主要とはされていない戦を見事に描くセンスと筆力は歴史ファン必読です。



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著者:ひさなお
 
 TOEIC満点、作家、投資家、IT企業グローバル人事、馬券師。
 慶應義塾大学→UCLA→大手IT企業。

  第3回マイナビ作品コンテスト最優秀賞受賞。 

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2016年12月29日木曜日

織田信長の戦い(5) - (34歳) 浅井裏切りから始まる6年間の死闘 -

織田軍団最大の危機への始まり…



戦国時代は無論、日本の歴史上で最も有名とも思われる織田信長ですが、彼は決して無敵でも余裕でもありませんでした。


事実、日本中の名だたる勢力に絶えず狙われ意識されながら、どうにか全国統一が見えてきた時にまさかの己の四天王、明智光秀に暗殺されてしまいます。


云わば絶えず戦い続けた織田軍団ですが、最大の危機の一つが始まります。



1567年浅井長政との同盟



前章でも言及した稲葉山城攻めでようやく美濃を手にした頃、信長は浅井家当主長政と同盟を結びます。

後に起こる彼との戦や、勝利後に信長が彼の頭蓋骨を使い何をしたかなどは有名かもしれませんね。



妹のお市を正室に送り込む



信長は長政の正室に妹の市を送り込みます。

この市もまた戦国時代を語る上で重要な人物です。



戦国時代のメインキャスト「浅井三姉妹」



浅井長政やお市も重要ですが、彼らの間に生まれた三姉妹(茶々、初、江)は、文字通り戦国時代を動かす存在になります。


信長に滅ぼされる浅井家、その後暗殺される信長、その信長亡き後秀吉に滅ぼされた柴田勝家、勝家と共に自害したお市。


残った三姉妹は母の市亡き後50年近くに渡り、戦国の終焉と新しい世を走り抜けることになります。



浅井裏切りから始まる6年間の死闘



この浅井家との同盟が裏切られることで、信長は時に絶望的な撤退戦にまで追い込まれます。


ただし、俗に言う「浅井の裏切り」という表現は難しく、厳密には同盟の条件であった朝倉家との不戦を破ったのは信長です。


それでも信長と朝倉との板挟みにあった長政は、朝倉側につくと腹を括った以上信長を全力で消しにかかります。


まさかの義弟によって長年に渡る死闘が幕を開けます。



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後に浅井家と衝突する「姉川の戦い」


2016年11月6日日曜日

織田信長の戦い(4) - (33歳) 「伝説の」秀吉一夜城 -

木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)参上



信長は今川義元を討ち取った後、斉藤龍興が治める美濃国攻略を本格化させます。


1566年、その斉藤家を攻めるため重要な国境に拠点を作る必要があり、信長は家臣たちに築城を指示します。


その過程でいよいよ後に天下を治める秀吉が歴史の表舞台に出てきます。


出自(表舞台に出るまでの過去)は大半の武将が不明



立身出世の代名詞でもある秀吉。

元は農民だが信長の草履を温めたりサルと呼ばれて可愛がられたりしながら成り上がってゆく…というお話は聞いたことがあると思います。


ただ、実は秀吉を筆頭に出所が不明な武将はわんさかいます。

秀吉も間違いなく草履エピソードは嘘でしょうし、サルではなくハゲネズミと呼ばれていたみたいです。

そんなどうでもよいことより、そもそも完全な農民というより足軽の家に生まれた説や、針商人として各地を転々とした説、元は信長ではなく今川家に仕えていた説などが有力です。


同様に、後に秀吉と並び「織田五大将」の一人で日本の歴史上最も大きな事件を起こす明智光秀も、その出自は不明な点ばかりです。


歴史とは勝者が作る物



このブログを通して伝えているテーマですが、歴史というのは一見唯一無二の正解がありそうですが、実際は「最後に勝った武将」が好き勝手に作り変える物です。


江戸時代ではそのもはや「おとぎ話」を楽しめばよかったかもしれませんが、現代では研究を重ねることで少しずつ「実際のところ」を掘り起こしているのが歴史です。



秀吉の一夜城で有名な「墨俣城」も実際は……



歴史とは勝者が作る物。

つまり、何世紀も「歴史」とされてきた大部分が信長や秀吉、家康が作った物と呼べるかもしれません。


秀吉がその才覚を発揮し成り上がりの出発点としたこの一夜城も、実際のところは後から作った話のようです…。

蜂須賀小六を率いて一晩で作って見せた!が売りの武勇伝ですが、「信長公記」によれば元々砦はあったらしく…。


成り上がりも信長を支えたのも事実



しかし、個々のエピソードに関わらず、結果として信長にとって頼りになる武将となったのも、無名だった秀吉が天下を取ったのも事実です。


信長の快進撃に秀吉や家康がどう絡むかも歴史の面白さです。


まだまだ織田軍には歴史の役者がおりますが、先ずは秀吉を抑えねば始まりません。


◇◆関連歴史書◆◇


『国盗り物語』



司馬遼太郎氏



※詳細は画像より


通説を知った上で「最近の研究では実際のところ」を嗜むのが歴史の「面白さ」の1つだと思います。

この「国盗り物語」は今から50年程前に司馬遼太郎氏によって書かれており、歴史好きを名乗るなら必須の一冊です。


歴史の味わい方が分かってきたら、ぜひ読み返していただきたい名著です。



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2016年11月4日金曜日

織田信長の戦い(3) - (29歳) 運命の絆「清州同盟」 -

羽柴(豊臣)秀吉は部下、家康は同盟



先ずは基本知識から。


このブログでは戦国時代を5つに分けております。

信長前夜→織田信長(今ここ)→豊臣秀吉→徳川家康→生まれるのが遅かった世代


その主要な二人ですが、秀吉は信長の部下である一方、家康はあくまで同盟という関係でした。


13年ぶりの再会



1つ前の記事で書いた通り、今川義元vs織田信長の「桶狭間の戦い」では、松平元康(後の徳川家康、以降「家康」と表記)は今川軍についていました。
 
家康は元は織田の人質であり(当時の名前は竹千代)、その後今川に送られました。


織田が今川義元を倒し、二人は13年ぶりに清州城で再会します。


1562年「清州同盟」



数ある戦国時代の同盟でも最重要の1つが清州同盟です。


天下統一を本気で目指し成し遂げる直前まで突き進んだ信長。実際に天下を統一した秀吉。そして260年続いた天下の礎を築いた家康。


歴史を変えたビッグスリーの二人が同盟を結びます。


実は一通り同盟を結んだ信長



とはいえ、家康と同盟を結んだ途端「よっしゃ、どっからでもかかってこい」というわけにはいきません。

実際当時の清州同盟は数多ある勢力の1つにすぎませんでした。


また、信長は実は武田や上杉、毛利とも同盟を長年結んでいます。初めから家康だけが特別、というわけではなかったと思われます。


信長が死ぬまで21年間破綻しなかったのがポイント



上記の大大名たちとの同盟は7~12年で破綻します。(それでもかなり長い)

一方で家康との同盟は文字通り最後まで続きました。


実態は主従関係という説も



その後の関係や出来事を考えると、建前は同盟でも実態は信長の子分だったように感じます。

現在の日米同盟とも似ていたり…。


信長と家康との関係にも触れていきたいと思います。


最新の説は最大の衝撃……



この本は何度も紹介してきましたし、歴史好きなら間違いなく衝撃を受けたであろう一冊があります。


『本能寺の変431年目の真実』



明智憲三郎氏




※詳細は画像より


この本を読んでしまうと2人の関係が全く異なって見えてしまうのですが…、いずれにしろ「運命」の絆が20年以上続くことになります。



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2016年11月2日水曜日

織田信長の戦い (2) - (26歳) 全ての始まり「桶狭間の戦い」 -

1560年、織田信長(26歳)最初の大戦


後に20年間、戦国時代の台風の目となる織田信長。


日本中を「信長とは誰ぞ?」と驚かせるのが1560年「桶狭間の戦い」です。


vs10倍の大軍「今川義元」



3万とも4万とも言われる大軍を率いて、今川義元は京都へ行くため尾張を支配する織田信長を侵攻します。


当時は今川家を知らなければ阿呆だった一方で、信長はここで滅ぼされていれば、戦国時代に何もせず散った無数の武将の一人で歴史に残っていたかも怪しいと思います。


言い換えれば、ここで信長が散っていれば歴史は根本から異なっていたでしょう。


徳川家康も今川軍



後に同盟という名の信長の子分になる徳川家康ですが、この時点では今川軍につき、実際織田軍の砦をいくつも落とします。

家康が今川家と共に織田家を滅ぼしていたら、徳川家が天下を取ることもなかったかもしれません。


拠点を残り2つまで追いつめられる織田軍



まさに絶体絶命です。

圧倒的な力を持つ戦国大名が周辺をことごとく潰し領土を広げてゆく、戦国時代の縮図のような戦いになると思われました。


起死回生の勝因は?



無論、結果から言えば万に一つの大逆転で織田軍が勝利します。
 
諸説ありますが果たして勝因は何だったのでしょうか。

 

縦長の今川軍に崖の上から騎馬にて横から突っ込む奇襲……ではなさそう



私が小学生や中学生の時は、このように「横から突っ込む奇襲」と教わった気がしますが、今では戦闘自体は正面から突っ込んだというのが通説のようです。

 

最有力は今川軍の酒盛



織田軍が勝機を手に入れた有力な要因が、今川軍の酒盛にあるようです。


前述の通り、元々10分の1しかいない織田軍の砦をことごとく潰して進んできたわけです。残るは名も無き大将を捻り潰すのみ。
 
当然のごとく飲んで騒ぎたい状況で、信長が仕掛けます。


農民がたらふく酒を飲まさせる



信長は農民たちに仕込んでおきました。

意気揚々と進む今川軍に農民たちが酒をふるまうわけです。織田に代わりこれからこの土地を支配する今川様どうぞよろしくと。


更には今川軍の中に信長や武田信玄のスパイすらいたとも言われ、今川義元たちはもはや勝ったと泥酔した説が最有力のようです。


身分関係ない実力主義



信長の内的勝因は、上記の通り身分にとらわれず農民を積極的に活用したところだと思われます。

酒をふるうなどのスパイ活動に加え、実際の戦闘でも「実力主義」は兵の士気を上げますよね。

 

義元を実際に斬った2人

 

この戦で今川義元に一番槍を入れたとされる服部小平太と、留めを刺した毛利新作。


服部はこの戦で膝を斬られるものの、後に城持ちにまでなります。(秀吉に仕えるが最期は切腹)

毛利はこの戦で指を失ったという話もありますが、本能寺の変で死ぬまで信長の周りに仕えたようです。


その後は目立った武功が無いと言われる二人ですが、信長と共に駆け上ったそれなりのシンデレラストーリーではないでしょうか。


日本を変えた20年



この戦いから「本能寺の変」までの20年。


天才信長と共に日本が変わりゆく姿を見ていきましょう。



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2016年9月13日火曜日

<歴史マニアの半歩深読み> 『真田丸』の描き方と魅力 (2)

観続けられる大河ドラマは3年に1本


よく勘違いされますが、歴史マニアだからと言って大河ドラマを必ず観るわけではありません。

むしろ「耐えられない」脚本も多く、最後まで観続けるのは3年に1度くらいです。


・新選組(2004年)


・風林火山(2007年)


・龍馬伝(2010年、留学のため前半が観られなかったのが生涯の悔み)


・八重の桜(2013年)


・黒田官兵衛(2014年)



そして無論、現在放映中の真田丸もベスト3に入る傑作だと思います。

(脚本家を見ると来年、再来年はあまり期待できなそう…。)



三谷幸喜氏は「敵を作らない」描き方


 以下前回の記事でも書いた通り、独特なほどソフトに歴史を描くなと常々思います。


歴史マニアの半歩深読み - 『真田丸』の描き方と魅力 - 



狂気の秀吉末期も相当手加減していましたし、秀次の死なんて勘違いのような解釈でした。「ドラマ」としては当然ありですけれど。


つい今週の関ケ原も50秒のシーンで終了でした。さすがに話題になりましたが、徹底的に合戦を避けるなんて本当に安上がりだなと思いつつ、それでもここまで魅せられるのは圧巻だと感じました。


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ちなみに、上記2004年の「新選組」も三谷幸喜氏が脚本です。

あれだけ血みどろの新選組(敵との戦闘による死者よりルール破った罰で仲間に殺される隊士の方がはるかに多い…)を、あれだけ「綺麗」に描けるのは特殊な才能だと思います。



ところで黒田官兵衛はどこ?


さて、歴史の面白さがここにも表れています。


一昨年、V6の岡田くんが演じた黒田官兵衛。

一昨年は、秀吉や家康と共に歴史を創り上げたのは黒田官兵衛でした。
 
ところが、今年は秀吉や家康と共に歴史を創り上げているのは真田信繁です。


黒田官兵衛なんて、一切出てきていません。笑

一昨年は真田家なんて零細軍団、もちろん出てきていません。


全く同じ(はず)の歴史が、全く異なる描かれ方をする。ここに歴史の面白さがあると思います。



「通説」なんてあって無いような物


このブログでも何度も書いてきましたが、歴史について「伝えられてきたこと」の多くが、笑えるほど違っていたなんてことは頻繁に起きます。


言い換えると、まだまだ歴史には新しい事実が無数に埋もれています。


歴史は勉強、と意気込む必要はありません。

歴史という壮大な物語を、好きなキャラクターと一緒に旅するところから始めてみてはいかがでしょうか。



◇◆関連歴史書◆◇


文中でも言及した名作、2004年の『新選組』のDVDをご存じでしょうか。


このドラマ自体の大ファン、というか、今思うと私が歴史のファンになったきっかけの1つかもしれませんが、当然購入しました。


覚えていますでしょうか。

土方を山本耕史さん、山南を堺雅人さんが演じています。

12年前は堺さんは山本さんに殺されたわけですが(笑)、つい先週までは一緒に徳川家康に立ち向かっていました


その徳川家康を演じる内野聖陽さんは、上記2007年の「風林火山」の山本勘助を演じて、実はその山本勘助なんて人物は実在していなかったらしい……という話がこのブログにも載っています。笑


歴史、楽しんで下さいな。



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著者:ひさなお
 
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2016年8月21日日曜日

織田信長の戦い (1) - 本気で天下を狙えた大うつけ -

織田信長ありきの戦国時代後期



信長が台頭する前は、戦国時代の台風の目は武田信玄であったと考えます。

実際、あの信長でも武田信玄には必死に貢物を送るなどしてご機嫌を取っていました。


それが、次第に台風の目は織田信長という新時代へと移っていきます。



本気で天下を狙えた大うつけ



戦国時代というと「天下取り」のイメージが強いですが、別に全ての大名が天下統一を目指したわけではありません。

むしろ、そんな夢物語を本気で目指す大物などほとんどいませんでした。

織田信長を除いては。



戦国後期No2の毛利家ですら狙えなかった天下統一



戦国後期No2の毛利家は、信長や家康クラスのリーダーさえいればひょっとすると天下を取れていたチャンスはありました。

大大名のポジションにあり、兵力からしても唯一織田軍や後には徳川軍と真っ向勝負ができた可能性はありましたが、如何せん肝心な時のリーダーが話にならず、歴史に埋もれて消えていきました。



天下布武



言ってみれば、誰もが偉くなりたい、そのためには敵は無論仲間や親族すら殺す、と殺気立っている中でも、別に世の中を変えたい、ましてや全国制覇して戦乱の世を終わらせたい、などと考える人はいませんでした。

仮にいたとしても、途方もない戦いになるため本気で目指しはしませんでした。


そんな中で、織田信長は天下布武を掲げます。


これは武力によって天下を統一する、という意味も込められていたとは思いますが、その先に戦乱の終わり、「泰平の世」を志していたことが分かります。



VS 天才信長



これから数々の大名や武将たちが信長と戦っていきます。


まだ信長が台頭する前は、「こんなひよっ子ねじ伏せてやる」と。

信長が力をつけてきたら、「ここで叩いておかねば」と。

信長の名がすっかり日本中に知れ渡ってからは、「ついに来たか、勘弁してくれ」と。

共に戦ってきた家臣たちや同盟の徳川家康からも、もしかしたら、「天下、俺が欲しいな……」と。。



織田信長は勝率7割



信長と言えど実は連戦連勝ではありません。武田信玄は勝率9割超えですので、強さというより戦い方も異なります。


天才であり魔王と呼ばれた信長の戦いが今始まります。



◇◆関連歴史書◆◇


信長に関する書籍や小説、漫画やドラマは、おそらく歴史上の人物で最も多く生み出されてきました。

その中で侮ってはいけないのがゲームです。


『信長の野望』




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このゲームを経験した子供はまず間違いなく歴史好きになると思います。
 
映画やドキュメンタリー、本を読ませても、せいぜい数時間しか歴史に触れません。
 
一方、このゲームは完成度の高さも踏まえ、50時間は軽くプレイできます。


先ずは馴染みのゲームから歴史に触れる。

そこから、本当の歴史はどうなっているのか、あの武将や出来事をもっと深堀してみたい、と歴史にのめり込んでいくのも素敵だなと感じます。



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著者:ひさなお
 
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<フォト記事> 歴史めぐり旅 (壱) - 姫路城、赤穂、京都紅葉 -

全5編で構成予定の『5武将と巡る戦国50年』


第1編の「信長前夜」が終わり、次回から第2編であり戦国時代の中枢、それ故ブログの核でもある「織田信長」が始まります。


今回は一息つくため、著者の歴史めぐり旅を少しご紹介いたします。
 
リンクは以前に親ブログ『一歩世界へ』に書いた記事です。



1. 兵庫県・姫路城


歴史めぐり旅Ⅰ < 兵庫県・姫路城 >


写真やコラムはリンク先の記事からどうぞ。











2. 赤穂


歴史めぐり旅Ⅱ < 赤穂 (忠臣蔵や塩で有名) >



赤穂が有名になった忠臣蔵は戦国時代ではありませんが、この歴史めぐり旅の中でも非常にお勧めスポットになりました。








3. 京都


歴史めぐり旅 Ⅲ < 京都と紅葉 >


紅葉に特化したフォト記事です。








時には歴史めぐり旅のフォト記事や、コラムなども挟んでいこうと思います。


それでは、いよいよ激動の信長編です。





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著者:ひさなお
 
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2016年8月13日土曜日

武田信玄の戦い (3) - vs 上杉謙信 -

武田軍最大のライバル上杉謙信



「信長前夜」のフェーズにおいて、戦国の世の双璧は武田信玄と上杉謙信だったと考えます。



上杉謙信は生涯独身(女性だった説まで存在)



謙信のイメージは美化され過ぎていて非常に人気がありますが、熱心な仏教徒でもあった彼は生涯独身でした。

比叡山を焼き払った信長ですら仏教徒だったわけですが、これだけ妾だ何だと野蛮な時代に独身を貫いたのは珍しかったようです。



「敵に塩を送る」の由来



武田信玄が今川と北条の「塩留め」攻撃を受けている際、苦しむ領民を見殺しにできずなんと長年ライバルだった謙信が塩を送ったのが由来です。

この出来事は1567年。

歴史その物に影響を与えたと言っても過言ではない「川中島の戦い」からわずか3年後です。



歴史を変えた「川中島の戦い(1553 - 1564年)」


 
「信長前夜」においてこの戦いだけは押さえておきましょう。

武田信玄と上杉謙信が実に11年もの間、5回にわたり行った戦です。


特に第四回が最大の戦いであり、前記事の山本勘助をはじめ、多くの武将が亡くなりました。



やはり謎に包まれる二人



前記事で言及した通り、彼らは「史実ではなさそう」な話が特に多いとされます。


上記川中島での一騎打ち伝説や、そもそも討死した山本勘助の架空の人物疑惑など、脚色が積み重なって二人は「最強」になったのかもしれません。



本当の勝者は信長



この11年間の戦は引き分けでしたが、二人の猛将が無駄にすり減らし合っている間に、すっかり織田信長が台頭してきます。

「桶狭間の戦い」はまさにど真ん中の1560年です。



結果を忘れてみると歴史は面白い



ただし、これは後に信長が破竹の勢いを見せることを知っているから言えることです。

当時は遠くの織田家なんかより今川や北条の方がよほど脅威でした。

信長が今川義元を討った桶狭間の戦いは、「信長やばいな」と言うより「今こそ今川滅ぼす!」であったようですし。



いよいよ信長登場



謎多くも物語とロマンに包まれた信長前夜。


次章からは信長と共に戦国の世が一変してゆく様を見ていきましょう。



◇◆関連歴史書◆◇


信玄に勘助あれば、謙信には……誰だ?となりがちですが、史実と史実の間をロマンで埋めた納得の戦国小説です。


『謙信の軍配者』



富樫倫太郎氏



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著者:ひさなお
 
 TOEIC満点、作家、投資家、IT企業グローバル人事、馬券師。
 慶應義塾大学→UCLA→大手IT企業。

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2016年8月12日金曜日

武田信玄の戦い (2) - 謎多き「最強」武田軍 -

武田軍の象徴「風林火山」



大河ドラマのタイトルにもなった風林火山。

これは通称「孫子の兵法」の教えです。

実はこれには続きがあるのですが、本記事では4つの兵法を考えてみます。


その疾きこと風のごとく

その徐なること林のごとく

侵掠すること火のごとく

動かざること山のごとし


武田信玄の戦いを一言で表すならばメリハリ



勝機を微動だにせず待ち、勝負所で迷いなく決める。

これは現代にも通じる本質だと思います。


この風林火山を武田軍は軍旗に記したと言われますが……。



謎多き武田軍



私見を先に述べると、歴史とはロマンであり物語であり、映像や写真が存在しない以上「実際」なんて誰にも分かりません。


歴史の資料には「一級資料」など信憑性や書かれ方による区分があるのですが、研究が進むにつれて「歴史の話」は大きく変化していきます。
 
実際、以前の記事で書いた「桶狭間の戦い」もそうですが、私が小学生の頃に学んだ話の多くが今では「そんな事実は無かったようだ」と解釈されています。


そのため、「後世の作り話だった可能性は高い」論は容易に当てはまってしまうので、基本スタンスはいちいち言及しません。

ただし、それでも武田軍は謎というロマンが多いので、ここではそれをお伝えしようと思います。



有名な「武田の騎馬隊」は敵軍より少なかった?



武田軍と言えば「騎馬隊」ですが、最近の研究ではむしろ他の軍団より騎馬の数が少なかったそうです。


山本勘助は存在しなかった?



武田軍の軍師として大河ドラマの主役にまでなった山本勘助ですが、長年「存在しなかった」説が有力でした。
 
どうも元となった軍師はいたようだが、様々な脚色が加えられたほぼ架空の人物のようです。


同様の話で、立ったまま死んだ「弁慶」も実は実在の人物ではありません。

源義経が僧兵軍団を引き連れており、それが後の物語のモデルになったようです。



「長篠の戦い」に織田軍の三段撃ちなど無かった?



「長篠の戦い」は信玄が死んだ後、織田軍が勝頼率いる武田軍と戦った有名な合戦です。


教科書では、戦国最強と謳われる武田の騎馬隊を織田軍鉄砲隊の三段撃ちが壊滅させる、とあります。

しかし、実は騎馬隊も三段撃ちも無く、単に数で圧倒されて武田が負けたようです。



戦国時代の中盤戦で脱落した武田軍



謎や伝説が多いのも、武田家が他の大大名に比べて早くに滅亡したためです。


それでも今でも人々を魅了し続ける「戦国最強」。
 
このブログも武田信玄から始められて光栄です。



◇◆関連歴史書◆◇


長年、武田家が滅んだのは信玄の跡継ぎ「勝頼」が愚将だったから、という説が有力でした。

しかし、真相は異なっていたようだ…など、いくつも「定説とは異なる」歴史研究が紹介されています。


「戦国大名」失敗の研究



 瀧澤中氏



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著者:ひさなお
 
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武田信玄の戦い (1) - 敗戦率わずか4%の猛虎 -

ビッグネームひしめく「信長前夜」



「信長前夜」の1560年頃はビッグネームが日本中を埋め尽くします。


武田、上杉、北条、今川が勢力を拡大する中、中国は毛利、四国は長曾我部、九州は大友や島津と、後に信長・秀吉軍団を迎え撃つ大大名たちが出揃ってきます。



信長ですら恐れた甲斐の虎



その大物たちの中でも、日本中が動向に注視したのが武田信玄です。



70戦以上の戦歴で負けは3戦のみ



戦上手で知られる武田信玄は、村上義清による3回の敗北以外に負けという負けがありません。


信長包囲網においても武田信玄がいつどう動くかに、信長や他の大名も注視していたそうです。



上杉謙信と徹底交戦し続けた「川中島の戦い(1553-1564)」



11年間で5回、最大のライバル上杉謙信と合戦を繰り広げた川中島の戦い。

中でも死闘であった第四回は後程詳細を書きます。



ひよっこ徳川家康に圧勝した「三方ヶ原の戦い(1572)」



信玄は亡くなる前年、とにかく信長憎しの足利義昭の呼びかけで3万の武田軍を率いて「信長討つべし」と出陣。

信長の直接の家臣ではないものの、同盟を結んでいた(実質子分)家康も散々城を落とされます。


城に籠っていたとしても危機的状況の家康でしたが、何を血迷ったのか真っ向勝負を挑みます。(信玄の思惑通り)


当時まだひよっこ家康率いる11000騎vs最強武田軍25000騎。


後に野戦に定評を持つ家康ですが、ここでは壊滅状態で命からがら逃げる始末。

有名な逸話で、あまりの恐怖で脱糞した姿を絵にかかせ悔しさを忘れないようにしたりと、家康にとってこそ特別な戦となりました。
 
余談ですが、あの夏目漱石の先祖もここで討死したようです。


実現しなかった信長との直接対決



三方ヶ原の戦いからわずか4か月後、信玄は病に倒れ戦国の世を去ります。


歴史に「もし」はありませんが、あと5年長く生きていれば歴史は変わっていたかもしれません。


後に戦国の世を終わらせ太平の世を築く家康に、手荒ながら最後の置き土産を残したのでしょうか。



◇◆関連歴史書◆◇


「軍配者」シリーズの中でもやはり「山本勘助」は好きです。

人生50年と言われた戦国時代にて、40歳を超えてようやく人生を始められたと言ってよい勘助。

彼の生き様から学ぶこと多々ありです。(実在しなかった説は次の記事にて…)


『信玄の軍配者』



富樫倫太郎氏



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「5武将1本軸」で結ぶ戦国時代

戦国時代を私の切り口で再整理


一般的に戦国時代は100年続いたと教科書には書いてあり、三英傑や五大武将など無数の「定義」があります。


既存の定義のおさらいではわざわざこのブログを作る必要も無く、ここでは私の切り口で戦国時代を再整理します。


戦国時代を大きく5つに分けると


1. 信長前夜 ( - 1560)
 
2. 織田信長時代(1560 - 1582)
 
3. 豊臣秀吉時代(1582 - 1598)
 
4. 徳川家康時代(1598 - 1615)
 
5. 生まれるのが10年遅かった世代( - 1615)



全ては信長が起点


詳細は本編に譲りますが、やはり唯一無二で歴史を変えた人物は織田信長です。


現代に例えるならば、無数の会社が企業活動を行う中、人々は出世や会社の社長になることを目指していました。(戦国時代は出世のために親族を殺すわけですが…)


そこに、「業界ごと全部手に入れる」と聞いたことのない野望を謳う馬鹿(後に天才だと判明)が舞い降ります。


信長がいなければ秀吉も家康も消えていたでしょうし、一方で多くの大名がしばらく残っていたでしょう。



歴史の針が動き出した「桶狭間の戦い(1560年)」から全てが終焉を迎えた「大阪夏の陣(1615)」まで


武田信玄vs上杉謙信の「川中島の戦い(1553-1564)」は重要ですが、基本的には「桶狭間の戦い」で信長が勝ってから時代が変わっていったと私は解釈します。


何度も書きますが、教科書の年表の横流しではなく、シンプルに本質を突いた歴史ブログを目指します。


ちなみに、縦長になった今川軍の横っ腹に、織田軍は馬で崖を降りて奇襲をかけて勝った、というのが通説でしたが、どうも最新の研究では真向から突っ込んだようです。詳細は別の記事にて。



信長が世を変え、秀吉が変わった世をまとめ、家康がその世を続かせた


基本的には通説をベースに歴史を巡ります。


皆様の頭に戦国時代が1本の線で結ばれるように、上記の5章立てで書いていきます。



残り2人は武田信玄(1)と伊達政宗(5)


当然、信玄と同時に謙信の話もします。


また、10年遅かった世代の代表格である伊達政宗は、『真田丸』でもお馴染みで人気武将第一位らしい真田信繁、マニアックですが私がファンである立花宗茂と同い年です。


彼ら5人の武将を軸に戦国の世を少しでも分かりやすく整理していきますので、どうぞ楽しんでいって下さい。



◇◆関連歴史書◆◇


『30の戦いからよむ日本史』



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著者:ひさなお
 
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 慶應義塾大学→UCLA→大手IT企業。

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全ての始まり「応仁の乱(1467-1477)」


戦国50年の世を5人の武将と巡る旅へ

歴史の魅力は登場人物たちがすでに亡くなっていること


戦乱の世を駆け巡った人々がどう生きてどう死んだのか。

歴史を通し我々は人の生の終わりまでを知ることができます。


戦国の世に思いを馳せて


戦国や幕末は、大志を抱き、時に人と異なる道を命がけで突き抜け、足跡をついに残した後、多くの場合は殺され、今では無論全員その生涯に幕を閉じた男たちの時代です。


時を超えた壮大さと、時の儚さと


私はプロフィールの通り、いくつもの人生を歩もうとしています。


その1つが小さな文学賞をいただけた程度の小説家であり、歴史小説を書くほど特に戦国時代に惹かれます。


シンプルに整理した戦国時代を言葉に


私自身もこの人生出し惜しみ無く足跡を残したく、私なりに整理した戦国時代を言葉にしていきます。


時には歴史巡り旅やマニアックなコラムも


主軸は5つに分けた戦国時代について書きますが、時々は私自身の歴史巡り旅やコラムも書くつもりです。


歴史に知識も心も近づける場所へ


それでは戦国の世を共に巡ってみましょう!



◇◆関連歴史書◆◇


毎記事1冊、関連する歴史書や小説、漫画や時にゲームなどを紹介したいと思います。


今回は現在進行形で読んでいる、最も好きな歴史小説家の1人の作品です。


『村上海賊の娘』


和田竜氏



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昨年訪れた姫路城