武田信玄亡き後
前回の織田信長(11)でお教えした通り、信長は武田信玄の死によって九死に一生を得て、結果浅井・朝倉・室町幕府を滅亡させます。
いよいよ手に負えなくなる織田家に対し、信玄を失った超名門の武田家は内紛ありながらも武田勝頼が後継者として指揮を振るいます。
信長・家康連合軍(35000) VS 武田軍(15000)
そうしてかの有名な長篠の戦いが勃発するのですが、少し諸説をご紹介しましょう。
先ず、信長の有名な「三段撃ち戦法」で織田軍勝利と教科書では学んだと思います。しかし、最近の研究ではどうもそんなものは無かったと、単に数で圧倒しただけという説が有力なようです。
また、対するは日本一と称された武田の騎馬隊とも学びましたが、そもそもこの戦場となった場所は非常に狭いらしく、そんな激しく騎馬隊と鉄砲隊がやり合ったとは思えない。更にはどうも当時の騎馬は今のポニー程度だったという説も有力のようです…。
そして、この戦いで武田軍は実に10000人もの死者を出し武田家の滅亡を決定的とするわけですが、勝頼は元より自分に反発していた内部勢力をわざと一掃させたとも言われています。
武田勝頼は本当に無能だったのか
このように今までは、カリスマ信玄が死に無能な息子の勝頼になり、この長篠の戦いで騎馬隊が織田軍の三段撃ち戦法に敗れ、武田家は滅亡していったとされてきました。
しかし、最近はいろいろな本を読んでも上記のように大分実態は異なっていた可能性が高いです。そして内紛により自滅したという点も含め、本当に無能だったのは勝頼ではなく昔ながらの武田家臣たちであったという考えに私も賛成しております。
いずれにしろ、一時は信長よりも天下に近かった(狙ったかは別として)可能性もある武田家は、信玄亡き後あっという間に滅亡してしまいます。
※武田勝頼に関する参考文献
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著者:ひさなお
TOEIC満点、作家、投資家、IT企業グローバル人事、馬券師。
慶應義塾大学→UCLA→大手IT企業。
第3回マイナビ作品コンテスト最優秀賞受賞。
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