2016年11月2日水曜日

織田信長 (2) - (26歳) 全ての始まり「桶狭間の戦い」 -

1560年、織田信長(26歳)最初の大戦

後に20年間、戦国時代の台風の目となる織田信長。


日本中を「信長とは誰ぞ?」と驚かせるのが1560年「桶狭間の戦い」です。


vs10倍の大軍「今川義元」


3万とも4万とも言われる大軍を率いて、今川義元は京都へ行くため尾張を支配する織田信長を侵攻します。


当時は今川家を知らなければ阿呆だった一方で、信長はここで滅ぼされていれば、戦国時代に何もせず散った無数の武将の一人で歴史に残っていたかも怪しいと思います。


言い換えれば、ここで信長が散っていれば歴史は根本から異なっていたでしょう。


徳川家康も今川軍


後に同盟という名の信長の子分になる徳川家康ですが、この時点では今川軍につき、実際織田軍の砦をいくつも落とします。

家康が今川家と共に織田家を滅ぼしていたら、徳川家が天下を取ることもなかったかもしれません。


拠点を残り2つまで追いつめられる織田軍


まさに絶体絶命です。

圧倒的な力を持つ戦国大名が周辺をことごとく潰し領土を広げてゆく、戦国時代の縮図のような戦いになると思われました。


起死回生の勝因は?


無論、結果から言えば万に一つの大逆転で織田軍が勝利します。
 
諸説ありますが果たして勝因は何だったのでしょうか。

 
縦長の今川軍に崖の上から騎馬にて横から突っ込む奇襲……ではなさそう


私が小学生や中学生の時は、このように「横から突っ込む奇襲」と教わった気がしますが、今では戦闘自体は正面から突っ込んだというのが通説のようです。

 
最有力は今川軍の酒盛


織田軍が勝機を手に入れた有力な要因が、今川軍の酒盛にあるようです。


前述の通り、元々10分の1しかいない織田軍の砦をことごとく潰して進んできたわけです。残るは名も無き大将を捻り潰すのみ。
 
当然のごとく飲んで騒ぎたい状況で、信長が仕掛けます。


農民がたらふく酒を飲まさせる


信長は農民たちに仕込んでおきました。

意気揚々と進む今川軍に農民たちが酒をふるまうわけです。織田に代わりこれからこの土地を支配する今川様どうぞよろしくと。


更には今川軍の中に信長や武田信玄のスパイすらいたとも言われ、今川義元たちはもはや勝ったと泥酔した説が最有力のようです。


身分関係ない実力主義


信長の内的勝因は、上記の通り身分にとらわれず農民を積極的に活用したところだと思われます。

酒をふるうなどのスパイ活動に加え、実際の戦闘でも「実力主義」は兵の士気を上げますよね。

 
義元を実際に斬った2人
 

この戦で今川義元に一番槍を入れたとされる服部小平太と、留めを刺した毛利新作。


服部はこの戦で膝を斬られるものの、後に城持ちにまでなります。(秀吉に仕えるが最期は切腹)

毛利はこの戦で指を失ったという話もありますが、本能寺の変で死ぬまで信長の周りに仕えたようです。


その後は目立った武功が無いと言われる二人ですが、信長と共に駆け上ったそれなりのシンデレラストーリーではないでしょうか。


日本を変えた20年


この戦いから「本能寺の変」までの20年。


天才信長と共に日本が変わりゆく姿を見ていきましょう。



◇◆関連歴史書◆◇


信長はじめの一歩としてお勧めしているのがドラマや映画にもなった下記漫画です。

ドラマ・映画版とは内容は全然異なり、史実のポイントを抑えつつ独特の柔らかさで描く良作だと思います。


進みが遅く半年に一冊しか出ませんが、ファンブックを買うほど応援している作品です。

すでに歴史好きでも「こう描いたか」と描き方を楽しめる世界観だと思います。


『信長協奏曲』


石井あゆみ氏




※詳細は画像より




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著者:ひさなお
 
 TOEIC満点、作家、投資家、IT企業グローバル人事、馬券師。
 慶應義塾大学→UCLA→大手IT企業。

  第3回マイナビ作品コンテスト最優秀賞受賞。 

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