2016年11月6日日曜日

織田信長の戦い(4) - (33歳) 「伝説の」秀吉一夜城 -

木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)参上



信長は今川義元を討ち取った後、斉藤龍興が治める美濃国攻略を本格化させます。


1566年、その斉藤家を攻めるため重要な国境に拠点を作る必要があり、信長は家臣たちに築城を指示します。


その過程でいよいよ後に天下を治める秀吉が歴史の表舞台に出てきます。


出自(表舞台に出るまでの過去)は大半の武将が不明



立身出世の代名詞でもある秀吉。

元は農民だが信長の草履を温めたりサルと呼ばれて可愛がられたりしながら成り上がってゆく…というお話は聞いたことがあると思います。


ただ、実は秀吉を筆頭に出所が不明な武将はわんさかいます。

秀吉も間違いなく草履エピソードは嘘でしょうし、サルではなくハゲネズミと呼ばれていたみたいです。

そんなどうでもよいことより、そもそも完全な農民というより足軽の家に生まれた説や、針商人として各地を転々とした説、元は信長ではなく今川家に仕えていた説などが有力です。


同様に、後に秀吉と並び「織田五大将」の一人で日本の歴史上最も大きな事件を起こす明智光秀も、その出自は不明な点ばかりです。


歴史とは勝者が作る物



このブログを通して伝えているテーマですが、歴史というのは一見唯一無二の正解がありそうですが、実際は「最後に勝った武将」が好き勝手に作り変える物です。


江戸時代ではそのもはや「おとぎ話」を楽しめばよかったかもしれませんが、現代では研究を重ねることで少しずつ「実際のところ」を掘り起こしているのが歴史です。



秀吉の一夜城で有名な「墨俣城」も実際は……



歴史とは勝者が作る物。

つまり、何世紀も「歴史」とされてきた大部分が信長や秀吉、家康が作った物と呼べるかもしれません。


秀吉がその才覚を発揮し成り上がりの出発点としたこの一夜城も、実際のところは後から作った話のようです…。

蜂須賀小六を率いて一晩で作って見せた!が売りの武勇伝ですが、「信長公記」によれば元々砦はあったらしく…。


成り上がりも信長を支えたのも事実



しかし、個々のエピソードに関わらず、結果として信長にとって頼りになる武将となったのも、無名だった秀吉が天下を取ったのも事実です。


信長の快進撃に秀吉や家康がどう絡むかも歴史の面白さです。


まだまだ織田軍には歴史の役者がおりますが、先ずは秀吉を抑えねば始まりません。


◇◆関連歴史書◆◇


『国盗り物語』



司馬遼太郎氏



※詳細は画像より


通説を知った上で「最近の研究では実際のところ」を嗜むのが歴史の「面白さ」の1つだと思います。

この「国盗り物語」は今から50年程前に司馬遼太郎氏によって書かれており、歴史好きを名乗るなら必須の一冊です。


歴史の味わい方が分かってきたら、ぜひ読み返していただきたい名著です。



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著者:ひさなお
 
 TOEIC満点、作家、投資家、IT企業グローバル人事、馬券師。
 慶應義塾大学→UCLA→大手IT企業。

  第3回マイナビ作品コンテスト最優秀賞受賞。 

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