2016年11月4日金曜日

織田信長の戦い(3) - (29歳) 運命の絆「清州同盟」 -

羽柴(豊臣)秀吉は部下、家康は同盟



先ずは基本知識から。


このブログでは戦国時代を5つに分けております。

信長前夜→織田信長(今ここ)→豊臣秀吉→徳川家康→生まれるのが遅かった世代


その主要な二人ですが、秀吉は信長の部下である一方、家康はあくまで同盟という関係でした。


13年ぶりの再会



1つ前の記事で書いた通り、今川義元vs織田信長の「桶狭間の戦い」では、松平元康(後の徳川家康、以降「家康」と表記)は今川軍についていました。
 
家康は元は織田の人質であり(当時の名前は竹千代)、その後今川に送られました。


織田が今川義元を倒し、二人は13年ぶりに清州城で再会します。


1562年「清州同盟」



数ある戦国時代の同盟でも最重要の1つが清州同盟です。


天下統一を本気で目指し成し遂げる直前まで突き進んだ信長。実際に天下を統一した秀吉。そして260年続いた天下の礎を築いた家康。


歴史を変えたビッグスリーの二人が同盟を結びます。


実は一通り同盟を結んだ信長



とはいえ、家康と同盟を結んだ途端「よっしゃ、どっからでもかかってこい」というわけにはいきません。

実際当時の清州同盟は数多ある勢力の1つにすぎませんでした。


また、信長は実は武田や上杉、毛利とも同盟を長年結んでいます。初めから家康だけが特別、というわけではなかったと思われます。


信長が死ぬまで21年間破綻しなかったのがポイント



上記の大大名たちとの同盟は7~12年で破綻します。(それでもかなり長い)

一方で家康との同盟は文字通り最後まで続きました。


実態は主従関係という説も



その後の関係や出来事を考えると、建前は同盟でも実態は信長の子分だったように感じます。

現在の日米同盟とも似ていたり…。


信長と家康との関係にも触れていきたいと思います。


最新の説は最大の衝撃……



この本は何度も紹介してきましたし、歴史好きなら間違いなく衝撃を受けたであろう一冊があります。


『本能寺の変431年目の真実』



明智憲三郎氏




※詳細は画像より


この本を読んでしまうと2人の関係が全く異なって見えてしまうのですが…、いずれにしろ「運命」の絆が20年以上続くことになります。



=============================
 
著者:ひさなお
 
 TOEIC満点、作家、投資家、IT企業グローバル人事、馬券師。
 慶應義塾大学→UCLA→大手IT企業。

  第3回マイナビ作品コンテスト最優秀賞受賞。 

==============================



ブログホーム


親ブログ: 『一歩世界へ』



0 件のコメント:

コメントを投稿