ビッグネームひしめく「信長前夜」
「信長前夜」の1560年頃はビッグネームが日本中を埋め尽くします。
武田、上杉、北条、今川が勢力を拡大する中、中国は毛利、四国は長曾我部、九州は大友や島津と、後に信長・秀吉軍団を迎え撃つ大大名たちが出揃ってきます。
信長ですら恐れた甲斐の虎
その大物たちの中でも、日本中が動向に注視したのが武田信玄です。
70戦以上の戦歴で負けは3戦のみ
戦上手で知られる武田信玄は、村上義清による3回の敗北以外に負けという負けがありません。
信長包囲網においても武田信玄がいつどう動くかに、信長や他の大名も注視していたそうです。
上杉謙信と徹底交戦し続けた「川中島の戦い(1553-1564)」
11年間で5回、最大のライバル上杉謙信と合戦を繰り広げた川中島の戦い。
中でも死闘であった第四回は後程詳細を書きます。
ひよっこ徳川家康に圧勝した「三方ヶ原の戦い(1572)」
信玄は亡くなる前年、とにかく信長憎しの足利義昭の呼びかけで3万の武田軍を率いて「信長討つべし」と出陣。
信長の直接の家臣ではないものの、同盟を結んでいた(実質子分)家康も散々城を落とされます。
城に籠っていたとしても危機的状況の家康でしたが、何を血迷ったのか真っ向勝負を挑みます。(信玄の思惑通り)
当時まだひよっこ家康率いる11000騎vs最強武田軍25000騎。
後に野戦に定評を持つ家康ですが、ここでは壊滅状態で命からがら逃げる始末。
有名な逸話で、あまりの恐怖で脱糞した姿を絵にかかせ悔しさを忘れないようにしたりと、家康にとってこそ特別な戦となりました。
余談ですが、あの夏目漱石の先祖もここで討死したようです。
実現しなかった信長との直接対決
三方ヶ原の戦いからわずか4か月後、信玄は病に倒れ戦国の世を去ります。
歴史に「もし」はありませんが、あと5年長く生きていれば歴史は変わっていたかもしれません。
後に戦国の世を終わらせ太平の世を築く家康に、手荒ながら最後の置き土産を残したのでしょうか。
◇◆関連歴史書◆◇
「軍配者」シリーズの中でもやはり「山本勘助」は好きです。
人生50年と言われた戦国時代にて、40歳を超えてようやく人生を始められたと言ってよい勘助。
彼の生き様から学ぶこと多々ありです。(実在しなかった説は次の記事にて…)
『信玄の軍配者』
富樫倫太郎氏
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著者:ひさなお
TOEIC満点、作家、投資家、IT企業グローバル人事、馬券師。
慶應義塾大学→UCLA→大手IT企業。
第3回マイナビ作品コンテスト最優秀賞受賞。
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