武田軍最大のライバル上杉謙信
「信長前夜」のフェーズにおいて、戦国の世の双璧は武田信玄と上杉謙信だったと考えます。
上杉謙信は生涯独身(女性だった説まで存在)
謙信のイメージは美化され過ぎていて非常に人気がありますが、熱心な仏教徒でもあった彼は生涯独身でした。
比叡山を焼き払った信長ですら仏教徒だったわけですが、これだけ妾だ何だと野蛮な時代に独身を貫いたのは珍しかったようです。
「敵に塩を送る」の由来
武田信玄が今川と北条の「塩留め」攻撃を受けている際、苦しむ領民を見殺しにできずなんと長年ライバルだった謙信が塩を送ったのが由来です。
この出来事は1567年。
歴史その物に影響を与えたと言っても過言ではない「川中島の戦い」からわずか3年後です。
歴史を変えた「川中島の戦い(1553 - 1564年)」
「信長前夜」においてこの戦いだけは押さえておきましょう。
武田信玄と上杉謙信が実に11年もの間、5回にわたり行った戦です。
特に第四回が最大の戦いであり、前記事の山本勘助をはじめ、多くの武将が亡くなりました。
やはり謎に包まれる二人
前記事で言及した通り、彼らは「史実ではなさそう」な話が特に多いとされます。
上記川中島での一騎打ち伝説や、そもそも討死した山本勘助の架空の人物疑惑など、脚色が積み重なって二人は「最強」になったのかもしれません。
本当の勝者は信長
この11年間の戦は引き分けでしたが、二人の猛将が無駄にすり減らし合っている間に、すっかり織田信長が台頭してきます。
「桶狭間の戦い」はまさにど真ん中の1560年です。
結果を忘れてみると歴史は面白い
ただし、これは後に信長が破竹の勢いを見せることを知っているから言えることです。
当時は遠くの織田家なんかより今川や北条の方がよほど脅威でした。
信長が今川義元を討った桶狭間の戦いは、「信長やばいな」と言うより「今こそ今川滅ぼす!」であったようですし。
いよいよ信長登場
謎多くも物語とロマンに包まれた信長前夜。
次章からは信長と共に戦国の世が一変してゆく様を見ていきましょう。
◇◆関連歴史書◆◇
信玄に勘助あれば、謙信には……誰だ?となりがちですが、史実と史実の間をロマンで埋めた納得の戦国小説です。
『謙信の軍配者』
富樫倫太郎氏
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著者:ひさなお
TOEIC満点、作家、投資家、IT企業グローバル人事、馬券師。
慶應義塾大学→UCLA→大手IT企業。
第3回マイナビ作品コンテスト最優秀賞受賞。
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