2016年8月12日金曜日

武田信玄の戦い (2) - 謎多き「最強」武田軍 -

武田軍の象徴「風林火山」



大河ドラマのタイトルにもなった風林火山。

これは通称「孫子の兵法」の教えです。

実はこれには続きがあるのですが、本記事では4つの兵法を考えてみます。


その疾きこと風のごとく

その徐なること林のごとく

侵掠すること火のごとく

動かざること山のごとし


武田信玄の戦いを一言で表すならばメリハリ



勝機を微動だにせず待ち、勝負所で迷いなく決める。

これは現代にも通じる本質だと思います。


この風林火山を武田軍は軍旗に記したと言われますが……。



謎多き武田軍



私見を先に述べると、歴史とはロマンであり物語であり、映像や写真が存在しない以上「実際」なんて誰にも分かりません。


歴史の資料には「一級資料」など信憑性や書かれ方による区分があるのですが、研究が進むにつれて「歴史の話」は大きく変化していきます。
 
実際、以前の記事で書いた「桶狭間の戦い」もそうですが、私が小学生の頃に学んだ話の多くが今では「そんな事実は無かったようだ」と解釈されています。


そのため、「後世の作り話だった可能性は高い」論は容易に当てはまってしまうので、基本スタンスはいちいち言及しません。

ただし、それでも武田軍は謎というロマンが多いので、ここではそれをお伝えしようと思います。



有名な「武田の騎馬隊」は敵軍より少なかった?



武田軍と言えば「騎馬隊」ですが、最近の研究ではむしろ他の軍団より騎馬の数が少なかったそうです。


山本勘助は存在しなかった?



武田軍の軍師として大河ドラマの主役にまでなった山本勘助ですが、長年「存在しなかった」説が有力でした。
 
どうも元となった軍師はいたようだが、様々な脚色が加えられたほぼ架空の人物のようです。


同様の話で、立ったまま死んだ「弁慶」も実は実在の人物ではありません。

源義経が僧兵軍団を引き連れており、それが後の物語のモデルになったようです。



「長篠の戦い」に織田軍の三段撃ちなど無かった?



「長篠の戦い」は信玄が死んだ後、織田軍が勝頼率いる武田軍と戦った有名な合戦です。


教科書では、戦国最強と謳われる武田の騎馬隊を織田軍鉄砲隊の三段撃ちが壊滅させる、とあります。

しかし、実は騎馬隊も三段撃ちも無く、単に数で圧倒されて武田が負けたようです。



戦国時代の中盤戦で脱落した武田軍



謎や伝説が多いのも、武田家が他の大大名に比べて早くに滅亡したためです。


それでも今でも人々を魅了し続ける「戦国最強」。
 
このブログも武田信玄から始められて光栄です。



◇◆関連歴史書◆◇


長年、武田家が滅んだのは信玄の跡継ぎ「勝頼」が愚将だったから、という説が有力でした。

しかし、真相は異なっていたようだ…など、いくつも「定説とは異なる」歴史研究が紹介されています。


「戦国大名」失敗の研究



 瀧澤中氏



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著者:ひさなお
 
 TOEIC満点、作家、投資家、IT企業グローバル人事、馬券師。
 慶應義塾大学→UCLA→大手IT企業。

  第3回マイナビ作品コンテスト最優秀賞受賞。 

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